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NPO法人サルボン『第3回アジア太平洋国際平和慰霊祭およびフォーラム開催』のお知らせ 開催趣旨 修正版


3回アジア太平洋国際平和慰霊祭およびフォーラム開催のお知らせ
(右でも左でもなく、私たちは前に進みたいと思います) 1115


  旧大日本帝国は
1941128日にアジア太平洋戦争、別名大東亜戦争を開始しました。そして1945年の終戦からすでに67年が過ぎました。当事者たちが次々と他界しその実態がやっと語られ始め、長かった戦後が終わろうとしています。あのアジア太平洋戦争とはいったい何だったのでしょうか。大日本帝国は欧米が支配していた大東亜世界に、その欧米と同じ覇権主義(武力侵攻)で挑み、そして完膚なきまでに打ち砕かれました。残念ながら大東亜共栄圏〈アジア共同体〉構想は絵に描いたすばらしい餅でした。戦後西欧列強はもはや武力で植民地を統治することができず、アジアの国々は独立します。現在多くの日本人はアジア太平洋戦争がアジアの国々を解放した聖戦だったと考えています。23カ国以上を巻き込んだ大戦で亡くなった人の総数は、少ない総計でも2,1996千人(日本側の総計)という数字があります。そのうち日本の民間人は80万人。日本兵は230万人でその多くが飢えによる餓死だったと言われています。大日本帝国の人々はなぜあのような戦争を行ったのでしょうか?途方もない多くの人々の命を奪ったあの戦争を総括せずに、当事者だった人々はこの世を去ろうとしています。しかし戦後生まれの私たちは、日本が当事者だったこの戦争のことを何も教えられていません。その日本の教育方針は現在も続いています。何も知らない日本人は果たして今後アジアの人々と平和を築いて行けるのでしょうか。戦中派の人々〈とその影響を受けた一部の若い人々〉は今でも天皇が日本の元首だと考えています。主要なマスコミ報道機関でさえもしばしば誤った報道をします。戦後日本の国体は変わりました。しかし多くの日本人がいまだにその真意を受け止めようとしていません。


   戦後生まれの私も、郷土日本に対する誇りと日本人としての誇りを持っていますが、それは大日本帝国時代の日本にではありません。これは自虐史観などではありません。旧大日本帝国のどこかに非があったとしたら、日本人自らそれを検証し、悔い改めていくのが日本の良心だろうと考えます。日本の見識を損なわないために、私たち日本人はアジア太平洋戦争とこれからも向き合っていかなければなりません。良識のある日本人を次の世代に引き継ぐために、私たちはこの慰霊祭とフォーラムを行います。なぜあんな戦争を行ったのか。戦争の実態を知り、そこから教訓を学ぶことにより、犠牲になったすべての死者たちを慰霊するのがアジア太平洋国際平和慰霊祭とフォーラムです。どうぞこの機会に戦前から日本とゆかりの深い山岳都市バギオにぜひお越しいただきたく、ここにご案内させていただきました。

 
 
かつて世界中で帝国主義の侵略戦争が横行している時代がありました。フィリピンは300年以上スペインの植民地でした。そしてアメリカが40年、続いて日本が3年間支配したとフィリピンの歴史書には記載されています。日本は200年以上の鎖国時代を経て、自ら大日本帝国と名づけ〈明治維新〉、欧米列強の植民地争奪戦争に参加しました。日清・日露戦争でおびただしい数の犠牲者を出しながらも台湾、朝鮮、遼東半島、南サハリン島を植民地にしました。さらに満州から中国全域に侵攻しようとし米英と衝突。大東亜共栄圏構想を掲げ、欧米の自由主義連合軍と全面戦争を引き起し、日本のみならずアジアの国々に甚大な被害を及ぼしました。大日本帝国は戦争責任を負った敗戦国とされ、極東軍事裁判でABC級戦犯あわせて1068人が処刑されたという記録があります。戦後日本は米国と協議し、主権在民の日本国憲法・平和憲法を発布。天皇は元首ではなく象徴になりました。以来日本は米国の従属国となりながらも、朝鮮戦争特需の助けを借り短期間に高度経済成長を果たしました。日本は大戦で被害を受けた国々に謝罪をし賠償を払ったものの、多くの日本国民は悪いことをしたとは思っていません。国民は大日本帝国軍がアジアで行った事実は何も知らされておらず、帰還兵も黙して語りませんでした。勝てば官軍と言う言葉があるように、多くの日本人は今でも勝てない戦争をしたのが悪かった、勝てなかったことが悪かったと考え、戦争を起こしたこと自体は悪いこととは考えていません。日本の歴史学術書の中には日本の非を指摘する著作が多く出版されていますが、日本国と日本国民は戦後自らあの戦争を総括しようとしませんでした。日本の文部科学省は明治以降の近代史を教えようとしません。日本人が帝国主義に加担した歴史を知らずに、植民地にされたアジアの人々とうまく行くはずがありません。今アジアの国々とのわだかまりはますます深まりつつあります。これは戦争を起こしたことのみならず、戦後にも汚点を残したことになります。そしてこれは戦争を知らないわれわれ戦後世代の責任でもあります。私たちはこの負の遺産を後の世代の日本人に残したまま逝ってしまっていいのでしょうか。


   1941
128日に大日本帝国軍は英領マレー半島に侵攻しアジア太平洋戦争が始められました。その後米領ハワイ諸島の真珠湾、米領フィリピン、英領香港を奇襲し米英軍に宣戦しました。フィリピンでは真珠湾攻撃の数時間後にバギオの米軍キャンプとスービック空軍基地が奇襲され、フィリピンにおけるアジア太平洋戦争が開始されました。フィリピンでの戦争は39ヶ月に及び、日本の兵隊52万人が亡くなりましたが、フィリピン人はその倍の110万人が亡くなっています。大日本帝国は1945726日に通告されたポツダム宣言を黙殺し、米軍により広島と長崎に原子爆弾が投下されました。そして814日にやっと無条件降伏を受け入れましたが、フィリピンの山下大将が投降したのは92日、その間におびただしい数の日本兵が飢えと病気で亡くなったと言われています。この国際平和慰霊祭及びフォーラムは大日本帝国軍が奇襲攻撃した128日に、空爆されたバギオの元米軍キャンプにて、フィリピン人、日本人、韓国人ほかの戦後世代の人々が一堂に会して行われる慰霊行事です。

                                                                                        ※ 2012.11.16修正