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『平成26年度志民カレッジ・水俣フィールドワーク』ご報告 その1


明社志民カレッジ•水俣フィールドワーク

〜現実と向き合い、前に動いた人〜

 

初めまして。今回カレッジのメンバーとして参加させて頂いた倉島康二です。

出身は新潟県阿賀野市(旧京ヶ瀬村)。家の周りはほぼ田んぼという小さな田舎です。そんな私が、なぜ今回カレッジに参加させて頂いたかと言うと、単に今まで行ったことの無い土地で、普段出会わない方々に出会って話しを聞いて見たかった。と言うことに他なりません。

なので、そんな興味本位で参加したのは私だけです。他のカレッジメンバーは、明確な意思の中で参加されていてとても感心しました。と同時に勉強不足な自分がとても恥ずかしかったです。

では本題に入ります。

1日目(919日):

◇水俣病センター相思社職員・葛西伸夫さんの案内のもと、水俣病歴史考証館を見学、その後水俣病関連地フィールドワーク

0081日目のカレッジで一番印象深かったのは、葛西さんの水俣病を伝えたい熱意がすごかった事です。そんな中、私が関心を持ったことがあります。それは、未だにチッソ(水俣病の原因になる排水を流した会社)が水俣市で大きく活動しているという事実です。あれだけの被害者を出しておきながら…いいの?と言うか、それが許される水俣市って…私はそう思いました。

  そこには、それでも生きていかなきゃいけないという重い現実が被害者の方々に重くのしかかっているような気がしました。
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日目(920日):

◇大川生雄さんの案内で『村まるごと博物館』めぐりと、坂本みゆきさん(水俣病の原因がチッソの排水にあるとわかった年に生まれた方)のお話。

2日目、私は坂本さんのお話しにとても興味を持ちました。坂本さんは高校は八代に通い、その後東京で学生生活を送られたとの事でした。その間、八代でも東京でも出身地を友達に聞かれた際にずーっと嘘をつき続けて、水俣市出身とは1度も言わなかったそうです。自分の生まれた土地を言えない現実…ずーっとこの苦しみの中で生きていたのかと思うと胸が締め付けられる思いでした。しかし坂本さんはある時からこの現実と向き合い、現在は水俣市でいまだ続く人権問題や、水俣市で生まれた一市民の声を多くの方々に届けているとの事です。  私は水俣病というよりも、坂本さんの強い生き方にとても心打たれました。是非ともいろいろな悩みを抱える若者達に聞いて欲しい話しだなと思いました。
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日目(921日):
◇吉永利夫さん(現在、株式会社ミナコレ代表取締役、一般社団法人水俣病を語り継ぐ会理事)

342私が吉永さんから感じとった勝手な印象は、ブルドーザーのように力強い一歩を踏み出し続けている方だなというような印象でした。水俣市再生に向けて、水俣市がアピールするべきところは水俣病である。と言うように地域活性化の為に、また多くの人々に水俣病を知って貰う為に、必死に走り続けているように感じました。 
   様々な方々からのお話しを聞き私はずーっと感じていた思いがあります。この水俣病は未だ解決には程遠い問題であると言うこと。そこには水俣で生きていくという現実と、家族を守る為の生活があるという現実があります。そして、この問題は原発の問題に非常に重なっているような気がしてなりません。

人間だから間違いは必ず起こすと思います。ただ人は過ちに気付けば修正することが出来ると思います。どこかで間違いを認め、現実と向き合い覚悟を決めなければ、取り返しのつかない間違いを起こすことになるのではないでしょうか?そうならないことを祈ります…。

メンバーの方々、講師の先生方、貴重な時間を与えて頂き本当にありがとうございました!何より美味しいご飯、美味しいお酒、お風呂が最高でした!また機会があれば宜しくです!

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