全国明社情報

『被災者支援ボランティア・第7組』活動報告


  今回は石巻市にある“障碍児と共に歩む会”のイベント支援を活動内容としています。小学校1年生から大人までの、主に知的障碍のある方たちとその親御さんへ食事の提供と、コンサートのお手伝いを行いました。

“障碍児と共に歩む会”とは、10年程前から石巻市で活動をしてきた個々の障碍別の親の会が、医師・保健師・福祉関係者・議員等、あらゆる分野の人たちとつながり、5年程前に誕生した新しい形のNPO法人です。 旧北上川沿いにあった活動拠点が311日の震災で被災し、震災後は以前のようには活動ができなくなってしまいましたが、今回のイベントは新しい年の始まりをピアノコンサートで楽しもうと集まりました。

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東京からの参加者全員が東京駅に集合。今回の第7組の参加者は、イベントを協働する“特定非営利活動法人ニンジン”より5名の女性、映画監督の男性、全国明社理事長と理事1名、全国明社事務局2名の計10名での活動となります(2日目より水戸明社から3名参加)。
東北新幹線にて1456分に東京駅を出発しました。予定通り1640分頃仙台駅に到着。レンタカー2台に分乗し、小雪の降るなかを石巻に向かいます。心配した道の凍結もなく、三陸道で途中多少雪が降ったぐらいで無事に石巻に到着。宿泊先となる石巻明社会長・斉藤正美さんの事務所に向かいます。
Dsc_4925_3 斉藤さんの熱い歓待を受け、おでんで食事をしながら歓談しました。
Dsc_4935_3 今回のメイン活動となる障がい児ニューイヤーコンサートの主催“障碍児と共に歩む会”の副理事長である小林厚子さんも参加し、会の概要や趣旨、イベント内容とともに、ダウン症の子を持つ母親としての気持ちをお話しくださいました。
小林さんはとても明るくパワフルな方で、ご自身のダウン症の息子さん(25)は現在仙台市内のケーキ屋さんでパティシエとして勤務しています。自宅で被災し、ご主人、お義母様、息子さん、お孫さんとともに、救助されるまでの3日間、海水に囲まれた自宅2階で余震のなか暗闇と空腹と恐怖に耐え、凍る寒さのなか身を寄せ合って過ごしました。その際の状況はJDSニュース(日本ダウン症協会会報)20122月号に掲載されていますが、息子さんの活躍は本当に頼もしいものでした。
メールや電話で何度も打ち合わせを重ねながら、ここで初めて顔を合わせた槇理事長も、まるで旧来の知り合いのように話が弾み、教育現場の経験のある参加者、自身共通の経験のある参加者を始め和気あいあいと交流し、明日の活力を養う楽しい時間をなりました。
賑やかなあたたかい時間を過ごし、明日の成功を祈ってこの夜は解散。活動に備えて早めに就寝しました。

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7時起床。身支度を整え朝食をとり、9時には斉藤会長自宅へ移動し炊き出しの準備に取りかかりました。炊き出しメニューはカレーと石巻焼きそばで、今回は100名分を用意します。
ここで2人のお孫さんを連れた細井さんが、焼きそば用にカットされたキャベツを持参して水戸より合流。朝4時出発の疲れも見せず、すぐに準備に参戦します。
カレー用のニンジン、ジャガイモ、タマネギをカットして巨大鍋に投入!思いのほか具だくさんになったため、急遽大鍋2つに分割しました。しばしグツグツ煮ます。
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傍らでは三升炊きの炊飯器を2回転してご飯を炊きます。
Dsc_4986_3 野菜が煮える間に居間にお邪魔して小休憩。この時間を使って東日本大震災DVDを拝見します。まだ被災地らしい気配をそれほど感じていなかった参加者も、思わず姿勢を正し、自分たちの役目をあらためて感じました。
女性陣がDVDを見ている間に男性陣がカレールーを投入。作業場に戻るとカレーの美味しそうな匂いに満ちていました!
カレーが出来上がったところで、食材も什器も人も3台のクルマに分乗し、会場に向かいます。

Dsc_4995_3 今回の会場は石巻市街地の東に位置する
屋内総合レジャーランド“プレナみやぎ”です。ボーリング場、スケートリンクを併設する石巻の一大アミューズメントスポットで、震災から復旧し昨年10月にリニューアルオープンしました。
会場は敷地内のホール。11時からコンサートは始まっていて、私たちが到着した1130分頃にはステージで子どもたちの発表が行われていました。
Dsc_5015_4 昼食は12時半からの予定。急いで石巻焼きそばをつくる用意をします。何度も経験がある石巻焼きそばの什器のセッティングが慣れた手つきで進みます。あっという間にセッティング終了。さっそく調理に入ります。
経験者の原事務局次長は、慣れた手さばきで美味しそうな石巻焼きそばを仕上げます。全国明社ニューフェイスの青木さんも慣れない手つきながら原事務局次長の指導のもと頑張りました!
Dsc_5025_3 できあがった焼きそばは、すぐ脇で女性陣によりパック詰め。パックに詰めて紅しょうがを乗せて輪ゴムで止める、と流れるように作業が進みます。
見事な連携で100食が出来上がる頃、コンサートも終盤となりました。
コンサート閉式の主催者からのご挨拶のなかで、斉藤会長と槇理事長が来場者のみなさまに紹介されました。
槇理事長は特定非営利活動法人ニンジンの常務理事・事務局長もされていて、今回はそのご縁もあって支援させていただいています。ニンジンはモンゴルの障がい児へ車椅子を送る活動をされていて、復興支援活動として石巻にある小規模多機能通所介護“めだかの楽校”への車椅子支援などを行っています。そしてそれらの活動のひとつとして集めた復興支援募金を“障碍児と共に歩む会”に寄付することになり、今回はその贈呈式も行われニンジンの理事である光井紀子さんより“障碍児と共に歩む会”へ目録が贈呈されました。Dsc_5094_3 Dsc_5083_3 入り口ではカレーライスの盛り付け準備、会場内には焼きそば配布の準備がされ、会場にはカレーのいい香りが漂ってきます。いよいよお楽しみの昼食です。
Dsc_5063_5 100食用意した石巻焼きそばはあっという間になくなり、「なんだか懐かしい味!」と好評のカレーライスもたくさんの方に召し上がっていただくことができました。
今回は世界宗教者平和会議(WCRP)を通してお預かりした、ネパールから届いた無農薬の紅茶の提供、紅茶パックの配布も行い、遠い地からのあたたかい気持ちをお届けすることもできました。
最後に来場者・ボランティア参加者で記念写真を撮り、あっという間の楽しい時間の締めくくりといたしました。
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手早く片付けを済ませ、予定通り14時頃には会場を出発。

Dsc_5131_3 帰路途中、ニンジンの車椅子支援を受け取ってくださった“めだかの楽校”へ立ち寄りました。“めだかの楽校”は、震災2日前に実施した避難訓練が功を奏し、もっとも被害が大きい地域にありながら、一人の犠牲者も出さず全員無事に避難できた施設です。震災直後、命からがら避難し、学校の鍵を開けてもらえるまでずっと雪のなかを待っていたというお話を以前伺っていたので、実際にその経験をされた皆さんを目の前にして胸がいっぱいになってしまいました。
かつて使用していた車椅子は津波にさらわれ、そこにニンジンからの車椅子が届いたことでかなりお役に立っているのではないかと思います。

その後、石巻市内の仮設住宅にある集会所で開催されているクレイドール展(クレイ=粘土)を訪れました。
Dsc_5143_5 兵庫県明石市出身の作家・ごとうゆきさんは、イラストレーターとして活動をされ、現在はクレイドールの制作とスケッチをおもな仕事とされています。震災後、被災地で支援活動をしたいと考えながらなかなか思うようにいかず、とっかかりを探していたなかで全国明社と縁がつながり、事務局から展示先などの紹介をさせていただいたそうです。20121月から各地をまわり、南三陸町で4ヶ所、石巻で2ヶ所の展示活動を行っています。石巻では斉藤会長宅に滞在しておられました。
Dsc_5168_3 私たちが訪れたこの日は大橋地区仮設住宅での展示最終日でした。集会所には約30点の作品が展示されていて、ごとうさんのあたたかく朗らかな世界が展開されていました。
展示会場をあとにして斉藤会長自宅で炊き出しの片付け。と思ったら、すでに斉藤事務所の鈴木さんと斉藤会長の弟さんが、いちばん大変な鉄板とカレー鍋をきれいにしてくださっていました。本当に本当にありがたい気持ちでいっぱいです。その他さまざまな片付けを済ませ、この日の活動は終了。
片づけを終え、道の駅上品(じょうぼん)の郷へ向かい、温泉に入って冷えた身体を温めました。宿泊先へ戻り、活動の成功を祝って鍋と美味しいお料理に舌鼓を打ちました。(なんだか食べてばっかりです(笑)。)

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朝から被災地視察へ向かいます。
Dsc_5238_3 まずは石巻の高台である日和山へ。原事務局次長の案内で、日和山観光掲示板に載る震災前の景色の写真を見て、その後日和山から海側を見下ろしました。参加者は、なにもなくなったその景色に言葉を失いました。
Dsc_5241_3 昨年1万基の灯籠を流した旧北上川の沿岸は、瓦礫や船などは撤去され、さっぱりとした風景になっていました。その一方、目を転じると瓦礫が建物3階分ぐらいまでうず高く積まれ、未曾有の災害が夢でなかったことを伝えています。
日和山を出発し、北へ向かい北上川に突き当たったところで東に転じ、10メートルを超える津波に襲われて、70人を超える児童が犠牲となった大川小学校へ向かいます。
Dsc_5257_3 子どもたちが目指した新北上橋のたもとを抜け大川地区に入ると、倒壊した家屋は撤去され、大川小学校の校舎と診療所の建物だけがすぐに見えました。だだっぴろい地にがらんどうの校舎を残し、建物前には献花台が設けられ、たくさんの花が供えられていました。
以前は進入禁止であった校庭には、いまは歩いて入ることができます。校庭の真ん中に立って、参加者それぞれがどのような思いを胸に抱いたのでしょう。
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Dsc_5279_3 大川小学校を見た後、ほぼ壊滅状態となった雄勝町を訪れました。雄勝湾の一番奥まった場所に位置しており、勢いを増した津波がすさまじい威力で奥の奥の方まで駆け上り、その爪痕がいまもなまなましく残っています。震災当初から何度もテレビに映った公民館の上に乗った観光バスは、いまでもそのままに残り、その背後には周囲から集められた瓦礫やコンクリートなどがうず高く積まれています。シンとした町に何台もクルマが止まり、人が降りて静かに惨状を胸に刻んでいます。
なにもかもが破壊され停止した町に、いつ復旧したのか久しぶりに信号が点滅していました。
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その後、仙台へ戻り帰路につきました。
震災直後の悲惨さ、その後の状態は、いまとなっては想像することしかできません。現地を訪れたことでテレビや伝聞からでは得られないものが、参加されたみなさんの心に残ったと思います。
今回の活動は“障碍児と共に歩む会”のお手伝いができたうえに、現地の方、また参加者同士、素敵な方々と出会うことができました。
このつながりを大切に今後も現地の方々を支援するボランティア活動を続けていきたいと思います。
みなさま本当にお疲れ様でした。また、これからもよろしくお願いいたします!

                                                                                  (全国明社理事 松原久美子)